大和工務店
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DAIWA STYLE

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世界の中庭あれこれ

DAIWA代表・玉井

 現在ある大和工務店の事務所はもう25年ほど前の建築、その時なぜか中庭を設計図に引きました。その時は主に美観的観点から設計したのですが、採光とか換気の目的も大きかった訳です。
 その後住宅研究目的でヨーロッパ方面によく行くようになりましたが、世界中どこへ行っても素晴らしい中庭がある事に目を見張りました。
 そして7年ほど前"お客様のいない家"つまり自分の家の事ですが…を思うがまま設計してみたところ、やっぱり中庭の家となっていました。私は囲まれた空間「中庭」が本来好きなのかもしれません。
 私の家の中庭は特定の建物をマネたものではないのですが、日本、及び"世界中の"中庭のエキスを拝借したと言えば言えます。
このページでは(日本の中庭は皆様ご存じなので…)私の海外紀行文(このwebには掲載しておりません)の中から、脳裏に今も焼き付いている(主に個人住宅の)中庭を数点拾い上げ紹介する事とし、参考に私の紀行文の掲載ページを記載しました。
 中庭は一般には大規模建築に多い訳ですが、ここでは住宅設計のヒントになる小規模なものを主にピックアップしました。また中庭は写真が撮りにくいので悪しからず。

玉井

玉井

1 「フェズ」1995年1月4日、モロッコ小紀行21頁。

  1. 世界の中庭フェズ旧市街を空から見る グーグルアースより
    四角な黒い穴が中庭 黒い線は道

    中庭は世界中にありますが、中でもイスラムの乾燥地帯や地中海地方には多く、文明の発祥地メソポタミヤには7千年前頃にはすでにレンガ造、二階建ての四角い家があったと言われています。
     フェズはそんな古代文明社会を今も地で行く街です。いつ襲ってくるかも判らない外敵に備えるため建物の外壁に窓は殆どない、道は狭くTの字、行き止まり、日は差さない(3,4階建て)日本人が迷い込むと一週間出てこられない…そうです。
     巾1mほどの坂道をロバが行くと通行人は脇の"露店"の壁にへばりつき、案内の現地ガイドが泥セメントを塗りたくった壁に空いた逆U字型の穴に消え、私も続きました。
     やっと一人が通過できるほどの狭い穴、頭をすぼめる、曲りくねった暗い通路、と、急に明るい陽射しで目が眩む、ほぼ正方形6m角ほどの中庭に出ました。
     中庭側は機織り場で壁はなくオープン、屋根下空間は中庭と一体となり外部とは隔絶された世界が広がっていました。地中海世界の中庭はそんな風なつくりが多いのです。

2 「ペルガモン遺跡」1997年1月7日、トルコ小紀行26頁。

  1. 世界の中庭山頂のペルガモン遺跡 円形スタジアム
    左奥の中庭は見えてない

     アレキサンダーが遺したヘレニズム文明、現トルコ近辺は紀元前3世紀頃、ペルガモン王国となっていました。その首都遺跡がエーゲ海から数10㎞内陸の「ベルガマ」にありました。
     バスは岐阜・金華山ほどもある円錐形の山にウネウネと登る、頂上に着くと頂上全体が古代都市遺跡でした。廻りは360度の展望、金華山と違って半砂漠、木々がないので見晴最高!
     遺跡は2千年以上を経て屋根は皆無でしたが石積み壁は随分修復され建っていました。頂上の巨大貯水槽、上下水道完備に驚愕「そこが中庭」というガイドの説明に仰天しました。 「こんな景色が最高な所に何で中庭が必要なの?」私の素朴な疑問。見下ろす景色は素晴らしい大きな自然の大パノラマ、中庭は人間が自分でつくる小さな空間、しかしその狭い空間は広い自然の大空間に"優るとも劣らない"快適空間なのかもしれません。中庭をそこに造ったのはリシマコス?中庭が人を惹きつける魅力に改めて脱帽…でした。
     ※ヨーロッパの密集型城塞、及び古都市にはこういった中庭は必ずあります。平地だろうが丘だろうが山岳だろうがお構いなし、見下ろす景色をシャットアウトした中庭も数多い。

3 「アッコー」2000年1月30日、パレスチナ小紀行25頁。

  1. 世界の中庭アッコーの路地空間 昼下がりのひととき

     パレスチナ(≒イスラエル)は中庭の宝庫、特にエルサレム旧市街は全体が"連続する中庭の街"で驚かされます。
     この街・アッコーはイスラエル北部、古代ですとむしろ「フェニキア」?とも言える地中海沿岸の町です。
     ここは十字軍の街として有名で、旧市街(アラブ人街)で撮った右の写真は個人の中庭ではなく路地です。
     中東の町の昼下がりといった所で奥では男たちがトランプに興じている所です。あまりに素晴らしかったので一瞬シャッターを!地中海地方ではよくある路地と"公園"一体型の空間です。
     それにしても、ぶどう棚は誰が手入れするのでしょう?外国の町には境界杭という代物はまず見当たる事がありません。"所有"に拘る日本人には色々不思議な事が沢山あります。

4 「カッスルクーム」2002年7月14日、イングランドドライブ紀行27頁。

  1. 世界の中庭カッスルクーム の中庭 写真を…と言うと奥さんが慌てて洗濯物を片付けた

     右の写真はイギリスをレンタカーでドライブ中、私ら夫婦がたまたま飛び込みで泊まった小住宅の中庭写真。
     夏の大繁忙期でホテルはどこも満員、前日の夜は遂に車で野宿、という有様でした。
     その日は運よく、その小さな"村"の B&Bの店主が自分の家を一晩貸してくれました(一階居間、2階寝室、小さな家でしたが魅力溢れる構造表しの内観、朝食付き全部で6千円ほど、奥さんの作る朝食は最高で今も忘れられません)
     個人の中庭という意味ではマネし易く現実味があり掲載しました。中庭形式の大きな欠点は何と言っても家が大きくなり易くコストがかかる事です。
     個人の中庭の場合、世界中言える事は連続が普通、つまり平たく言うと隣家の壁を自分の塀に利用している事です。
     私の家もそうしていますし、この写真の家も手前(見えていない側)と右側が自分の家で左側は隣家の物置、正面は塀で済ましています。
     中庭を自分の家だけで囲うのは無理が生じます。三方囲いだと理想ですが、二方囲いにして残る二方は塀というのが普通です。
     この家の場合、隣の住人がこの物置に出入りする際は境界を越えて中庭に入りドアを開けているそうです。私が「それってどうなの?」と訊くと「何の問題もない。何かおかしいか?」と怪訝な顔をされました。主人は床のタイルはイタリア製大理石と自慢、自分で張ったそうです。

5 「ミンゴーラ」2004年9月6日、パキスタン北部小紀行17頁。

  1. 世界の中庭ミンゴーラの中庭 四方回廊の豪邸
    奥に主人と子供を抱く下男

     この写真はパキスタン北部のミンゴーラの町で撮ったものです。タイムスリップしたような随分ワイルドでスリリングな町でした。
     その後新聞によると一時町ごとタリバンが支配?とでていました。私はこの日朝方一人でこの町の路地をビデオ片手にふらついていました。
     と、ある人物が私を手招き、狭いうねった通路を抜けると立派な四方回廊式の中庭へと出ました。柱間、多分6.5m×10mほど、完璧に四方が一戸で囲われたお屋敷でした。
     多分その人物は私に自分の家を自慢したかったのだと思います。相当な金持ちらしく、子供を抱かせた下男を伴っていました。パキスタンはイスラム戒律が世界一きついと言われており妻は客に顔を見せてはいけないので、多分女性群らはどこかから私を覗いていたでしょう。
     主人はコップに入った水を持ってこさせ私に振る舞いました。私は飲まない訳に行かないのでその水を飲んだのですが随分生ぬるかった事をよく覚えています。
     これほどの金持ちでも冷蔵庫などある筈のない世界なのです。私はその夜、死ぬほどのひどい下痢に襲われましたが、多分原因は別(闇で買った缶ビールが大腸菌だらけだった?)にあったと思っています。

6 「イドラ島」2005年6月4日、エジプト・ギリシャ小紀行21頁。

  1. 世界の中庭左の家の主婦がカーペットの埃を叩いている
    ブルーの丸蓋は共同井戸
    奥に主人と子供を抱く下男

     右の写真はギリシャ「エーゲ海一日クルーズ」での一コマ。
     ギリシャ、エーゲ海(多島海の意)は"地上の楽園"地球上でもっとも人間の過ごし易い気候?と思います(水さえあれば…)雨量は年間350mm程度(岐阜は約2000mm)文明の発祥地は常に少雨にあるのです。
     島から島へ、平地はほぼありません、急傾斜地に戸建て住宅が密集、だから敷地はごく狭く一戸の家も小さい、マリンブルーと白の外壁が眩しい素晴らしい風景が続きます。
     中庭…小さな家のそこかしこに中庭っぽい小さな快適空間が垣間見えます…が、黙って侵入する訳にもいきません。中庭の探究は中に入らないと判らず難しいのです。ちょっと…と覗くと家主といきなり顔が見合うとか、追っかけられた事もあります。
     右の写真は個人専用ではなく通路兼共用の中庭で写真が撮り易かった訳です。ブーゲンビリヤには目がない私ですが、土のない所にこの密集"オバケ"が育っている事には驚かされました。

参考に私の紀行文を列記します。ご自分が行かれた国だとなつかしく読めるかと思います。一緒に旅行談義 しませんか?

① ヨーロッパ初紀行 1992年 9月(360度完璧なコンコルド広場)
② ドイツ初紀行 1994年1月 (ドイツ人は自然を美しく、日本人は醜く変えた?)
③ モロッコ小紀行 1995年1月 (驚異の風土とパラダイス)
④ トルコ小紀行 1997年1月 (トルコ人には我々モンゴロイドの血が混じるか?)
⑤ 北イタリア小紀行 1998年1月 (寒いロンバルディアと暖かいローマ)
⑥ パレスチナ小紀行 2000年1月 (モーゼ、イエス、おぞましい人間ども)
⑦ イングランド.ドライブ紀行 2002年7月 (イギリスの夏は春、古民家探究3000㎞)
⑧ パキスタン北部小紀行 2004年9月 (カラシニコフ、インダス川、カラコルム)
⑨ エジプト.ギリシャ小紀行 2005年6月 (アレキサンドリアはギリシャ?)
⑩ スカンジナビア小紀行 2005年9月 (無暖房住宅と、後半一人旅)
⑪ アメリカ東岸 鉄道紀行 2006年6月 (移民国家USA、新ローマ帝国)
⑫ インド.ネパール小紀行 2010年1月 (家畜か人間か?ポカラは楽園)
⑬ 満州小紀行 2010年7月 (幻想の満州国と近代都市ハルビン)
⑭ ロシア小紀行 2011年1月 (湿度100%のペテルブルグ、トルストイ宅のペチカ)
⑮ インドシナ小紀行 2011年11月 (ゴキブリ軍団、プラナカンと脱線列車)
⑯ 北ドイツ鉄道紀行 2012年7月 (グロピウス、ゲーテ)